重過失。

製造業で働く従業員が脳出血で死亡したのは長時間労働が原因だと遺族が訴えた裁判で、東京高等裁判所は一審の判決を変更し、会社と直属の上司である取締役に対して計2355万円の支払いを命じた。
死亡した従業員は、発症の2か月前の残業時間が月111時間、1か月前が85時間だったという。
会社及び上司である取締役が業務量を適切に調整するための具体的な措置を取らなかった、それが重過失にあたると判断された。
2019年の法改正によって、時間外労働と休日労働に関する上限規制が罰則付きで施行(中小企業は2020年4月から)されている。時間外労働と休日労働の合計が1か月あたり100時間未満、2~6か月平均80時間以内というのがその内容だ。
2か月平均で100時間弱の残業に対して対策をとらないことが重過失にあたるという今回の判断は、企業の人事労務担当者にとって、かなりのインパクトで受け止められたのではないだろうか。
現状ではコロナ禍における雇用の維持が最重要課題となっているものの、だからといって働き方改革が後退することは許されないという原則が再確認されたといえるだろう。

雇用主の裁量権。

法務省で働く国家公務員の職員が、自宅から通勤に3時間30分かかる遠方への異動は違法だと訴えた裁判で、東京地方裁判所は移動命令を有効と判断した。
職員の主張は、共働きで家事・育児の大部分を担っているという家庭の事情を無視した異動命令であるというもの。
これに対し、判決では配偶者の勤務先と異動先の中間点に住むなどして家事を分担する方法があると指摘した。
ここで問題となっているのは、雇用主の裁量権の逸脱・濫用である。
日本においては、雇用主都合による解雇が難しいことから、雇用を維持するための配置転換や異動に対する雇用主の裁量権が広範に認められる傾向にある。今回の判決でも、裁量権の逸脱・濫用はないと判断された。ある意味、従来の判断を踏襲したともいえる。
一方で、少子化対策の一環として、次世代育成支援法がある。この職員の勤務先である法務省も、この法律に基づく行動計画を策定しており、そこには育児・介護に配慮した人事管理に努めると規定されている。
また、厚労省では男性の育休促進に向けた制度見直しをすすめており、仕事と育児・介護などを両立させるための両立支援の取組みの充実化を図っている。これらは、新しい社会(少子化、高齢化社会)における新しい流れといえる。
そういう中での、今回の判断だ。
従来の判断を維持すべきか、それとも新しい社会の到来に対応した判断を行うべきか。
少子化、高齢化による超人口減少社会が目前に迫るなか、雇用をめぐる様々な問題の再検討が喫緊の課題といえるだろう。



コンコルド効果。

コンコルド。
通常の旅客機の2倍の高度をマッハ2.2という旅客機としては破格のスピードで飛んだ夢の超音速旅客機だ。
コンコルドは開発に時間がかかり、開発途中で採算ラインに乗らない懸念があったにもかかわらず、それまでにかけた膨大な開発費用を惜しんで開発を続けた結果、多額の損失を生んだといわれている。
そこから、ある対象に投資し続けることが損失を招くとわかっていても、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態をコンコルド効果という。
何の話かといえば、東京オリンピックのことである。
世界的なコロナパンデミックの中、現実を見れば解決困難と思われる問題が山積するにも関わらず、いまだに中止を決められないのはどうしたことだろうか。
無論、サンクコスト(埋没費用)は中止できない理由のひとつに過ぎず、ほかにも様々な要因があるのだろう。
しかし、と、どうしても考えてしまう。
このままオリンピックを強行した場合に想定されるリスクをどう見積もっているのか、と。その見積り、少し甘くないですか、と。
ここでもまた問われるのは、想像力、ということなのではないか。

補足性の原理。

菅首相の「最終的には生活保護がある」という発言が、物議を醸している。参議院の予算委員会でコロナ禍による生活困窮者への対応を求められた際の答弁だ。
生活困窮者のセーフティネットとしては、ほかに「緊急小口資金」「総合支援資金貸付」という貸付の制度がある。2019年度の貸付件数は約1万件であったが2020年3月から2021年1月までで14万件をこえる支給決定が行われたという。
一方、生活保護についてみてみると申請数は増えているものの、2020年7月時点では被保護世帯数、被保護人員数ともに前年を下回っている。コロナの影響が続く中、今後は増加に転じると見込まれるものの、貸付制度との利用者数の差は歴然としている。
生活保護の利用が進まない理由のひとつが、「補足性の原理」とよばれるものだ。
これは、資産や労働する能力、3親等内の親族による援助の可能性などを検討したうえで、公的援助が必要と認められた場合に生活保護が利用できるという原則を指している。特に親族に対する扶養照会が、この制度を利用する際のネックになっているという。
この「補足性の原理」については誤解されている点も多々あり、実際の運用にあたっては柔軟な取り扱いがされているケースも多いようだ。
また、生活困窮者が増加する中で、制度に対する誤解や曲解に基づく、生活保護の受給者に対する謂れなき誹謗中傷も散見される。
「最終的には生活保護がある」と言い放つだけではなく、制度に対する理解を促し、少なくとも利用することの心理的なハードルを下げる施策とセットにしなければ、せっかくの制度も機能しない。
そういったことを思いやる想像力が、この発言には欠けている。

ソーシャルメディア。

twitterとFacebookがトランプ大統領のアカウントを永久停止したことが問題になっている。私企業による私権の制限だというのだ。
例えば町の料理店が態度の悪い客を出入り禁止にしても、私権の制限と抗議されることはない。同じ民間セクターといえるtwitterやFacebookが批判されるのは、それが実質的に社会のインフラとなっているからだろう。
つまり、ソーシャルメディアはすでにマスメディアと同等以上のインフラとして機能しているということだ。
マスメディアには、例えば放送禁止用語があったり、公共の福祉に反するような内容のコンテンツを規制したりしているわけだが、それをもって私権の制限であるとか表現の自由を損ねているなどという議論にはなっていない。
日本においてはマスメディアが許認可事業であるという前提はあるものの、そういった自主規制は数十年かけて社会的な合意を得ながら形作られたものだとはいえないだろうか。
だとするならば、ソーシャルメディアについても、これからある程度の時間をかけて社会的な合意を得ながら、新しい規範が作られていくべきものだと考える。
今回のtwiter、Facebookのアカウント停止は切迫した状況における緊急避難的な措置として容認されるのではないだろうか。
こういう措置は国が法律をもって行うべきだとする議論は、むしろ危険なものではないかと思うのだ。
そう、それは、いつか来た道。

丑年。

新しい年が始まった。
コロナ禍の終息は未だ見えず、先行き不透明な中、例年とは異なる年明けの風景がみられた。
自分にとって昨年は大きな変化の年だったが、新しい生活のペースは残念ながら、まだつかめていない。もちろんコロナ禍の影響は否定できないわけだが。
牛は十二支の動物の中で最も動きが緩慢で歩みが遅い。先を急がず、一歩一歩着実に歩みを進めていくことこそが真骨頂といえる。
自分もまた、牛のごとく、目の前のことをひとつづつこなしながら、着実に歩みを進める、そんな一年にしたいものだ。

商売繁盛。

2020年の酉の市。
浅草の鷲神社では、事前予約による入場規制を行っていた。
例年であれば、身動きが取れないほどの参拝客と三本締めの歓声で賑わうが、今年はコロナの影響でご覧の通りの状況だった。
参道には例年のように屋台が並んでいたが、なにしろ参拝客が少ないこともあって売り上げは今一つのようだ。前を歩いていたYAZAWA!のスカジャンを羽織った金髪のお姉さんが「こんな酉の市は初めてだな」とつぶやいていたのが印象的だった。
商売繁盛の祭りがこの有様では先行き不安が増すばかりではないか。
例年であればお参りだけで済ますところだが、景気回復の願いを込めて熊手を買って帰った。

若年性認知症。

厚労省が若年性認知症実態調査の結果を発表した。
それによると、若年性認知症の有病者数は推計で約3.57万人(18~64才人口10万人あたり50.9人)だとのこと。2009年の調査では有病者数約3.78万人(18~64才人口10万人あたり47.6人)だったとのことで、人口減により有病者数はげんしょうしているものの、10万人あたりの人数は増えている。
60才を越えると物覚えも悪くなるは人の名前も出てこないわで、これはいよいよ認知症の始まりではないかなどと不安になったりする人もいるだろう。
最近では漫画家の蛭子さんが初期の認知症と診断されて話題になった。ただ、少なくとも雑誌のインタビューなどを見る限り、ご本人はさほど気にされている様子はない。
しかし一方で、認知症と診断されることで絶望し、それがさらに病状を悪化させるケースは多いと聞く。
診断の壁。
診断されることで体調が変化するわけではない。変化するのは気持ちだ。病名がつくことで、病気になる。まさに、病は気から。
認知症と診断されても活躍されている方はたくさんいる。認知症についての正しい知識を持つことが、超高齢社会を迎える私たちにとって重要なことだと思うのだ。
恐れ遠ざけるのではなく、正しく知ること。

テレワーク転職。

転職希望者が増えている。
パーソルキャリアが発表した2020年6月の転職希望者数は前月比122.6%で過去最高を記録した。
実際の転職者数はどうなのだろうか。雇用調整が進んでいる現況をみれば、一部業種を除けば採用数が増加しているとは考えにくい。つまり、市場としては需給バランスが悪化しているということだ。
それなのに、転職希望者は増えている。
一つの要因として、働き方を変えたいという動きがあるという。希望する転職先の条件として、テレワークや在宅勤務が可能であることをあげるケースが増えている。
コロナ禍でテレワークの経験者が増えたこともあるだろう。だがそれ以上に生活自体や価値観そのものを見直す機会を得たことがその動きを後押ししているのではないか。
一方で、企業のテレワーク実施率は5月末の30.5%から6月に入ると同時に23.0%に減少した。コロナ感染者数の動向にもよるが、減少傾向は今後も続くと思われる。
しかし、見直された生活や価値観が元に戻ることはない。むしろニューノーマルという新しい常識は生活者の変化を後押しするだろう。
その変化が、ニューノーマル下での企業の選別を加速する。

平均自立期間。

平均自立期間とは、日常生活動作が自立している期間のことで、具体的には要介護2以上を不健康と定義して、平均余命から不健康期間を除外したものをそう呼ぶらしい。
その平成30年集計数字が国保中央会から発表された。
それによると、男性の平均自立期間は79.8年、女性は84.0年となっている。平均余命はそれぞれ81.3年と87.3年。平均余命から平均自立期間を引いた不健康期間は、1.5年と3.3年ということになる。
これを長いとみるか、短いとみるのか。
いわゆる健康寿命の定義はいろいろあって、平均自立期間もその一つだ。要支援や要介護は7段階に分かれていて、要介護2は要支援1、要支援2、要介護1の次、ちょうど真ん中の段階にあたる。平均自立期間の場合、要介護1までは「健康状態」とみているわけだ。
何をもって健康状態と呼ぶか。
自分にとって「健康」とはどのような状態を指すのか。
コロナ禍によって、健康についての関心もかつてないほど高まっているように思える。
そういう時期だからこそ、自分自身の「健康」についてじっくりと考えてみようと思う。