従業員の不倫に対する使用者責任の有無を問う裁判があった。
原告は男性で、従業員が妻との不貞行為を通じ、同業他社の情報・動向を収集しており、これはその従業員の勤める会社の事業の執行にあたると訴えた。被告は、従業員の勤める会社ということになる。
これに対して東京地裁(藤澤裕介裁判長)は、不貞行為は職務の範囲になく、情報収集の手段にしているとみるのも無理があるとして主張を退けた。不貞行為を含む男女関係は基本的に私生活の領域にあたるため、会社は責任を負わないという判決だ。
妻の不倫相手の会社に怒鳴り込む、というシチュエーションは、テレビドラマでよく見るし、現実の世界でもありそうだ。
これを裁判に持ち込む、というところがすごいところだ。法曹関係者でもなければ、訴訟というのはハードルが高い。それだけこの男性の怒りが大きかったということだろうか。
地方裁判所での民事裁判件数は2003年をピークに減少傾向にあるらしい。その原因を論じる論考はあまりみかけないが、ひとつには訴訟にかかる費用や手間に比べ、結果によって得られるリターンが小さいことに原因があるのではないか。
素人目にも勝ち目が薄いと感じる本事件で訴訟に踏み切ったこの男性は、何を求めて何を得たのだろう。
60歳のハローワーク。 その2
案の定、というべきか。
初回の失業認定日にハローワークを訪れた。錦糸町にあるハローワーク墨田である。
受給資格決定のために訪れた5月からひと月が経過したハローワークは、驚くほどに混雑していた。資格決定と失業認定は、同じ2階のフロアにあるのだが、エレベーターホールにまで人があふれ出している。
もちろん通常時よりも人と人の距離をとっていることも一因ではあるだろう。それにしても、ひと月前に比べれば差は歴然としている。
総務省の労働力調査によれば、5月の完全失業率は2.9%(前月比+0.3%)、完全失業者数は前年同月に比べて33万人の増加とのこと。
一方で、雇用調整助成金の上限引き上げや適用条件の緩和によって、解雇ではなく雇用調整(休業、一時帰休や労働時間の短縮)を選択する企業が多くあるという。
現時点では、コロナ禍による失業率の上昇はリーマンショック時に比較すれば限定的であるとされている。
しかし、景気の回復が遅れ業績の悪化に歯止めがかからない状況が続けば、雇用調整は一気に解雇へと舵を切る。試算によれば、9%までの上昇が懸念されている。
雇用保険や健康保険、年金制度など社会を支える諸制度は、雇用の安定を前提としている部分が少なからずある。失業率が高止まりし、かつ働き方が大きく変わるとするならば、それら諸制度の見直しも急務であるといえる。
コロナ禍によって軋みをあげているのは、経済だけではない。社会や政治はもちろんのこと、僕たちひとり一人にとっても変革はまったなしということだ。
紫陽花。
先週の日曜日、終りに近づいた紫陽花を観ようと鎌倉まで足を伸ばした。
長谷寺から成就院、極楽寺へとめぐる途中でついに雲の底が破れ、雨が降り始めた。光則寺の軒先を借り、縁側に腰を下ろして庭を眺めれば、鮮やかさを増した緑の葉を叩く雨音に勢いづいた蛙たちが歌い始める。草いきれと微かに漂う焼香の香り、そして、紫陽花。
命に満ち、豊かさに溢れた空間。
さらさらと流れていく日常とは肌触りの違う、濃密な時間。
時には発見と感動を探しに行こう。
日常と離れたところに、それは、ある。
60歳のハローワーク。
無職である。
契約社員再雇用ではなく定年での退職を選んだため、現在のステイタスは、無職。
で、会社から届いた離職票と各種書類を持ってハローワークへと向かった。60歳にして初めてのハローワークだ。
まずは会社から届いた離職票や各種書類を用意してハローワークの窓口へ。ここでもコロナ禍の影響があり、通常は参加しなければならない雇用保険説明会は中止。受付窓口で書類の確認を終えたら受給資格者証を受け取って職業相談窓口へ。希望する職種や年収などをきかれて登録が終われば、その日は終了となる。約1時間のハローワーク初体験だ。
その日を含めた7日間の待期期間を終了すれば、4週間ごとの失業認定を経て基本手当が支給されることになる。60歳での定年退職の場合は150日分が上限だ。
コロナによって失業率は上がりつつあるというのにハローワークの窓口は意外なほどに空いていた。
嵐の前の静けさ。
そうならないことを祈るのみだ。
三平。
といっても昭和の爆笑王のことではない。それはかつて三高と呼ばれていた「何か」だ。
三高とは、高収入、高学歴、高身長のこと。1980年代末のバブル全盛のころ、女性たちは結婚相手にこの三つの条件を求めたといわれる。もちろん、どんな時代であれ惚れてしまえばあばたもえくぼなわけであって、バブル期の女性がおしなべてそういう男性を追いかけていたわけではないと思う。高収入といったって、どれくらいの金額を高収入ととらえるかは人によってちがうだろうし。だから三高とは、ある意味「時代の雰囲気」とでもいうべきものであって、それをうまいこと言った!というコピーワークのようなものだったのだろう。
では、三平とはなにか。
それは、平均的な年収、平凡な外見、平穏な性格のことだそうだ。つまり、これがいまの時代の雰囲気を表しているということらしい。なんだかなあ。
でもね、女性がいう相手に求める平均的年収とは、682.6万円なんですと(結婚情報センター調べ)。ところが国税庁の民間給与実態調査によると日本人の平均年収は441万円らしい(2020年)。
日本の未婚率が高止まりするわけです。そして、少子化はますます進行すると。
人生100年時代、年収440万円、それでも結婚し子供を作り老後も安心して暮らせる社会。それを信じることができる説得力のある制度設計や政策立案が求められているということでしょう。
任継か、国保か、それも問題だ。
健康保険問題である。
会社に勤めていれば、自動的にその会社の加入する健康保険組合の被保険者となるわけで、健康保険料は給与から天引きされる。
では、退職するとどうなるか。
選択肢はふたつ。
引き続き退職前の健康保険組合に加入する(ただし2年間が限度)か、国民健康保険に加入するか。
保険料については家族構成や収入によるため一概にどちらが有利とはいえない。また健康保険組合ごとに提供するサービスが違うため、その内容も検討材料になるだろう。
健康保険料をいくら払っているか、あまり考えたことはなかった。支払いが給与天引きであることも、その一因だろう。
同じ金額であっても、天引きされた給与を支給されるのと自分の口座から引き落とされるのではかなり印象が異なる。払っているということが強く意識されるのだ。そして支払った金額の対価としてどういうサービスが提供されているのかについても気になり始める。それがいままでの消費を見直すということにつながっていく。
サービスや商品を提供する側からすれば、これは大きなチャンスではないか?
消費だけではなく生活全般の見直しが進行しているコロナ禍での市場でも同じことがいえるかもしれない。
人生万事塞翁が馬。
悲観しているばかりでは、明日は見えない。
定年退職か、再雇用か、それが問題だ。
2020年4月。
何年か前から還暦後の生活について考えてきた。人間50年という時代はすでに遠く、人生100年時代を迎えていると聞く。
となると、60歳でハッピーリタイアというわけにもいかないわけで。経済的にはもちろんのこと、仕事をしない日常にはたして耐えられるかとも思うのだ。
で、選択肢は二つ。
60歳で定年退職し別の仕事を選ぶか、定年後再雇用の制度を利用し契約社員として65歳までいまの会社に残るか。
人事部の担当者によると、定年を迎える社員の7割程度が再雇用を希望しているという。まあ、そうだろうね。年収は減るけどそのほうがいろいろと楽だし。
問題は「65歳まで」という部分だと思う。
結論から言えば、僕は再雇用を選ばずに退職し、個人事業主(社会保険労務士)となる道を選んだ。
その理由は二つ。
一つは、65歳以降をどうするのかを考えたから。65歳で退職しても、たぶん今と同じ問題が残る。経済的な問題と仕事をしない日常に耐えられるかという問題。人生100年時代というならば、5年間の雇用延長はいかにも中途半端な感じがするわけで。
もう一つは、生き方のシフトチェンジをしたかったから。月~金、9時~5時、出勤してオフィスで仕事というスタイルを変える。ライフスタイルを作り直す。還暦を迎えたということで、これまでと違う新たな暦を始めようと。
とはいうものの、70歳までの雇用継続義務化になりそうだしコロナ禍で新しいワークスタイルや生活習慣が根付くとするならば、再雇用を選ぶのもアリだったかもしれない。
結局のところ、その決断が正しいとか間違っているとかいうことには意味がないんだろう。その決断を正しくあらしめようという強い意思こそが大切なんじゃないだろうか。だとするならば、だ。
泣こかい飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ。
つまり、そういうことだと思うのだ。